「命どぅ宝」
「命どぅ宝」この言葉の意味を考えたことがありますか。何よりも命が一番だという、この言葉の意味をしっかりと受け止めていますか。
今の世の中をみていると、命についてしっかり考えていない人が多くなったような気がします。自ら命を捨てたり、他人の命を奪ったりと、毎日、命の関わる事件、事故が起こっています。なぜ、一つしかない命を自分で捨てたり、奪ったりできるのでしょうか。
私には、今年、六歳になるはずだった、いとこがいました。その子が一歳を過ぎたある日、ひどい熱が続き、その子の両親は、不安を抱きながら、病院へと行ったそうです。そこで医者から告げられた言葉は「急性リンパ白血病」という病名。まだ一歳という小さな体で「白血病」という病魔と闘うことを、余儀なくされました。検査や点滴、たくさんの機会に囲まれての辛い治療が始まりました。しかし、その子は毎日、笑顔をたやさずに頑張っていました。
辛い治療に耐え、やっと担当医から退院許可が出た時、その子はとても嬉しかったのでしょう。いつもの笑顔よりもさらに輝いていて、私にはその笑顔がまるでキラキラと輝く太陽のように感じました。このままこの病気が治り、私達と一緒に遊び、笑い、同じように中学生になり、大人になっていく。あたり前のことだと、私はそう思っていました。
しかし、退院から三、四か月過ぎた頃、「白血病の再発」を告げられたのです。再び、入院生活に入ったのですが、その子は、面会に来る人たちを笑顔で迎えてくれました。強い薬のためか髪の毛は抜け落ち、骨は弱くなり、一人では歩けない状態になり病気が悪化しているのがわかりました。そんな状況になっても、その子は弱音など一回も吐きませんでした。集中治療室での辛い治療に耐えながらも、私達がお見舞いに行くと、笑顔を見せてくれました。その笑顔を見た時、私は少し明るい気持になったこともありましたが、その笑顔が私の胸を締めつけることもありました。
そして、十一月十四日。両親の腕に抱かれながら、いとこは天国に旅立ちました。父からいとこが亡くなったことを聞いた時、私は何が何だかわからなく、頭が真っ白になり、涙が次から次へと流れていました。私は、いとこが寂しくないようにと、ずっと手を握りしめていました。今まで温かかった手が冷たく、いくら揺すっても無言のままで、目を開くことはありません。私はその時「死」というものに恐怖を感じると同時に、「死」というのがこんなに身近なものだったのかと感じていました。
私は白血病と闘った、いとこからたくさんのことを学びました。あんなに小さな体で病気と闘い、辛くても笑顔で、弱音を吐かなかったその子は、短い人生だったのですが、とても大きな人間だと思いました。
この世の中には、病気と必死に闘いながら、生きたくても生きられない人がいるのです。いとこにとって一日でも多く生き延びること、笑顔でいることが、今を生きていることであり、それが大きな幸せだったと思うのです。そう思った時、私達のように健康でいられること、明日が来ることは、世界で一番の幸せなことなんだと感じました。しかし、私達はその幸せさえも、当たり前だと思い、ただ毎日をなんとなく過ごしているのではないでしょうか。
私のいとこが「生きるために闘ったこと」と、その子の「死」を通して、私達は毎日を大切にして生きていかなければならない。そして、「生きるととは何か」「生きていくためにはどうすればいいのか」を真剣に考え、もっと自分自身を見つめなければならないと思いました。「命どぅ宝」この言葉の意味をしっかりかみしめて、私はいとこの分までも一生懸命生きていきたいと思っています。
Posted by (有)比嘉酒造 at 02:07│Comments(1)
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